「石原のささら獅子舞」解説

埼玉県無形民族文化財 「南大塚の餅つき踊り」

石原のささら獅子舞保存会

石原の観音寺に於いて4月18日の祭礼(観音祭)に、獅子舞が奉納される。獅子3頭に、悪魔除け・安産・子育ての3つの願いを託し、町内の家々を廻る。
民族芸能の系譜は、風流(ふうりゅう)派「一人立 三頭獅子」龍頭の獅子舞に属する。

この寺は比叡山の末寺で、弘法大師の草創にかかり、後に慈覚大師が再興し、受胎・安産の霊験顕著なるをもって、「世継観世音」と称される。その後、長盛上人が中興し、慶長12年(1607年)3月、観音祭として「偏木獅子舞」を創始した。
以来川越城内にて、悪魔降伏・災難消除・国利民福、の祈祷をし、領主から祭礼祀粲(しさん)料を賜った。

しかし、寛永11年(1634年)時の川越城主 酒井讃岐守忠勝が若狭小浜城へ国替となった折、獅子舞を愛好するあまり、雄雌2頭と演技者30余戸を若狭小浜へ帯同させた。そのため「ささら獅子舞」は中断してしまった。

しかし、宝永6年(1709年)に、高沢町の現・井上家(水村甚左門忠直)から獅子3頭が奉納され、75年を過ぎて再興され、今日まで約300年間、大切に伝承されている。

若狭小浜においても、関東組と称え城主加護の元、「雲浜獅子」と命名され、伝承されている。


出典:石原のささら獅子舞保存会配布資料